落葉

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幹から栄養をたたれた木の葉たちが紅や黄色に染まっている。

滲んだ血液のような、紅い木の葉が好きである。落ちたコンタクトをさがすように慎重に歩く。

 

交通事故でいためた頚椎の治療に、10日に1度M市に通院をしている。

およそ自然とは縁遠い場所に生まれ育ったせいもあって、病院のあるこの駅の豊かな自然にうっとりする。ホームにおりたつと気管にはりつく冷気に雑味がなくて、いままで吸っていた空気のなんたるかをあらためて確認する。

 

ひきこもって暮らしていた時間がながいせいで、落葉樹の美しさを知ったのは最近だ。

生きるために葉をぜんぶ落としてしまうなんて、なんて潔がいいんだろう。黒い幹をさわり、つい体温をさがす。幹はわたしのぶかっこうな指のぬくもりを静かに受け止める。それがこの木の温度というものなのだろう。どこまでもやさしく、美しい。

 

紅い葉をくるくる指でまわしながら、だれかに「きれいだね」と言いたいと思った。友達にお茶でもどう?と声をかけてみようか、一瞬考えて、やめる。いけないいけない。わたしは歩く害悪だ。人に関わるとその人はおおかた疲労困憊してしまう。

 

わたしは雑談というものが苦手である。

まんじゅうの餡子は、そこにいたるまでの無味の薄皮があるからこそ美味いのに、わたしの会話は餡子まるだしだ。まんじゅうの形をなしていない。人が胸焼けするのがなんとなくわかる。

 

「お前は天気のはなしをできるようになれ」父からいわれて育った。両親はわたしと話すのがとても苦手である。それがわかっていたので、聞かれたこと以外はあまり話さずに生きてきた。おとなしさは我が家の美徳であった。

 

先日、実家に帰り、久しぶりに両親とテレビをみる機会があった。女子学生が、眉間にしわをよせ、なにか悲痛にうったえている。スピーチの大きなコンテストで大賞をとったらしい。父はテレビをのぞきこみ「この子はいじめにあって大変だったんだってさ。かわいそうになあ、頑張ったよなあ」とつぶやいた。わたしの体がこわばった。いじめられてかわいそうという思考回路が、この人にあったのか。ならば、すこし伝えてみたい。

 

「大変だったよ、わたしも。」意を決して口をひらいた。「学校へ行けば死ね死ねいわれるし、机はひっくりかえってるし、クラス全員から無視はされるし」父は動じる様子もなく、何も言わずに引き続きパソコンをいじっている。となりにいた母が突然きぜわしくテーブルを片付け始める。「部活の仲間がいただろう」父はいつも通り、わたしの目をみずにぽつりと言った。「部活の友達?関係ないよ、みんな一緒になってたし」学生時代、そういえば父とはなしたことがほとんどなかった。ああやはり、なにもしらないのだろう。「Sちゃんがいたじゃない?」母が急に口を挟む。わたしは静かに衝撃をうけた。どうやら母はわたしが学生時代、数年にわたっていじめをうけてきたことをすっかり忘れているらしい。親友だったSにも相手にされず、母にどれだけ苦痛をうったえても決して学校を休ませてもらえなかった地獄の日々が頭をかすめる。お前の思い込みだと一喝され、これはいじめじゃない、喧嘩なんだと思い込む努力をした日々。

 

まあ、数十年前のできごとである。しかも自分ごとでなければ忘れてしまうのが人間であろう。そういうものなのであろう。両親も、苦楽ある人生を生ききるために、余分な葉を落としたのだ。

 

「じぶんのことをあるく害悪だとおもっています」最近やっと、胸の内をあけられるようになった精神科医に正直にいうと、医師はとても悲しそうな顔をした。

医師の顔をみて、ああ、これは行き過ぎた言葉なんだとやっと理解した。わたしの思考はどうやらひどくねじれてしまっているようだ。よし、今日からその思考をやめよう。そう思う。しかし、いつからだろう、「自分と関わる人間はみな疲れる」という固い確信は、追い払えど追い払えど、影のようにぴったりと寄り添ってくる。

 

病院からの帰宅後、コートのポケットからハンカチをとりだすと、すこししめった生気に触れた。しまった、葉っぱをいれていたのを忘れていた。黄色や茶や紅の、おれまがったしわしわの木の葉をわたしは大事にとりだして、冷えた窓辺にきれいに並べた。